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寄付をしたことはありますか? なぜしましたか? なぜしませんでしたか?
「お金をください」と言われたら、どのような気持ちになりますか? 惜しみなく与えることができますか?
私はクリスチャンの家庭に育ったので、お金を差し出すということは珍しいことではありませんでした。クリスチャンは日曜日の礼拝で「献金」をします。私の母はいつも「私たちが持っているお金は全て神様から頂いたものだから、その中から元々神様のものだったうちの少しだけを返すだけなのよ」と言っていました。そして教会はそのお金を必要なところや人たちに対して使っていました。
また、私の母は様々な団体にも寄付をしていました。途上国の子どもたちのスポンサーもしていました。父は母に働いて欲しくなかったようだったので、それらの寄付は父が働いて得ていたお金とも言えますが、父は寄付に反対していなかったので、私の両親が二人して寄付していたと言えますし、そのことで私は両親を尊敬しています。
アメリカに戻ったあと、日本ではなかった「ホームレスの人にお金を求められる」ということがあり、カルチャーショックを受けました。私の思い込みかもしれませんが、アメリカの歴史と文化はキリスト教をベースにしているので、アメリカ人はお金を恵んで欲しいと言うことも、お金を与えることも、それほど抵抗が無いと思います。
しかし、私は「ホームレスにお金をあげる時は気を付けないといけない」と言われました。なぜなら中には貰ったお金をお酒や麻薬に使ってしまう人たちもいるからです。なので、私が高校生の時は、親友の一人と一緒にホームレスの人たちにご飯を買い、つらいことなどを聞きながら一緒に食べるということを通して支援をしていました。大学生の時にアフリカ南部の国々に行った時は、物乞いをする子どもたちにお金を上げると、親たちは子どもたちに物乞いを続けさせて働くなってしまうので、私は子どもたちに、「買い物をしている間、車を見る」という仕事を与え、その報酬としてお金を与えました。
大学と言えば、アメリカではたくさんの奨学金があります(日本と違い、アメリカの奨学金は原則として返済不必要です)。卒業生の多くは大学への感謝の表しとして奨学金を作り、勉強したくても学費を払えない人を支援したりします。私も学費のほとんどを奨学金で助けてもらい、奨学金を作られた方々と手紙のやり取りもしたことも覚えています。そのうちの一つは、大学を卒業する前に亡くなられた娘さんのために奨学金を作ったご夫婦でした。私もその方々を見習い、私のアドバイザーでもあり、メンター、そしてアメリカでの父親として慕っていた教授が大学を引退された時に、彼の名前を含んだ奨学金を作らせていただきました。その教授は大学で聖歌隊(合唱団)のディレクターもしていて、いつも留学生を気にかけていたので、私は大学に「支援を必要としている留学生で、教授が担当をしていた大学の聖歌隊に入ること」をその奨学金を受け取る条件として伝えました。
もしあなたが不安を抱えているのであれば、お金を差し出すということは難しくなると思います。また、もらうことに対して抵抗がある場合も、与えることが難しくなると思います。そのような場合、「なぜもらうことが難しいのか」というについて考える必要があります。原因はプライドでしょうか?くれる人の動機に何か裏があると気になってしまうからでしょうか?
数年前、脳科学者が発表した面白い記事を読みました。彼らが言うには、私たちの脳には、私たちを嬉しくさせるホルモンを分泌する箇所があり、そのホルモンが一番分泌されるのはいつなのかを研究したそうです。人々は、「美味しいものを食べた時」、「目標を達成した時」、「褒められた時」、「愛し合っている時」などと予想するかもしれません。驚くことに、脳科学者たちは「誰かを助けた時」に一番脳は人々を一番嬉しい気分にさせると結論付けました。さらに、それは「他の人に認知されること」も必要としていないそうです。あなたが誰かを助けた時、誰かに見られたり褒められたりせずとも、あなたの脳は自動的にあなたを嬉しくさせるホルモンを分泌するそうです。人体の構造はとても不思議ですね!
faricoでは、今年の12月中にどこかしらに寄付をされたクライアント様には無料セッションを1回分プレゼントさせていただくことにいたしました。私たちは人々が与えることも、受け取ることもしやすくなることを促進しております。あなたが惜しみなく与え、疑わずに受け取ることができることを願っております。
与え、受け取るクリスマスになりますように!


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